対馬古写真図鑑

国境の島・対馬(つしま)に関する古い写真を収めたサイトです。
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対馬古写真図鑑 | トップページ
「厳原町の川端通り」(昭和30年代?)
写真: 「厳原町の川端通り」(昭和30年代?)
2004/12/6 情報:「撮影者は厳原町在住の阿比留繁蔵さん」

韓国までの最短距離が50キロ足らずという国境の島・対馬(つしま)。

いま、手元に、その島に関する古い写真を収めた1枚のCD-ROMがあります。
その中には、懐かしく、そして新鮮なふるさとの姿が残されていました。

それらの写真は、我々をとりまく環境がここ数十年でどう変化し、
何を得て、何を失ったのか、を静かに語りかけてくれます。

※いつ、どこで、誰が撮影したのかわからない写真も多く、それらの情報も集めて整理したいと思っています。
情報は各写真ページのタイトルをクリックすると下段にコメント入力フォームがでてきます。
みなさまの御協力をよろしくお願いいたします。

※写真は対馬市役所教育委員会が所有者の許可を得て収集したものです。
無断転載は固くお断りします。
対馬古写真図鑑 (写真No.191) 
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■ 昭和40年5月5日、遊びに来ていた知人たちを見送りに行ったときの、対州丸の写真です。(三浦 轍司)
対馬古写真図鑑 (写真No.190)
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■九州郵船が火災の後、鉄筋の二階建てになったのが昭和35年の春だったと思います。東沿岸船の乗り場ですね。朝8時半に博多行き、8時45分に西沿岸船、9時に東沿岸船が出ました。後ろに対州丸が見えますが、デッキの屋根にテントを張っていないので気候的に冬の前後なのでしょうね。(三浦 轍司)

対馬古写真図鑑 (写真No.189)
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■ 西川端の瀧本金物店、栗山食料品店、上野こんにゃく屋、茂村薬局。東川端に中村そば屋が少しだけ写っています。富士というダンスホールがアイスキャンデー屋になって、その後はタクシー会社になったんですね。その北が片山靴店。袖振山を、こんなにもはっきり見ることができたのですね。(三浦 轍司)
対馬古写真図鑑 (写真No.188)
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■道路がきれいにコンクリート舗装されていますね。掲揚された国旗、道を行く人の晴れ姿から、お正月と思います。(三浦 轍司)
対馬古写真図鑑 (写真No.187)
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■ 写真左、大坪家具店、ガラス屋さん、嘉瀬さん。右側は稲垣文房具店。(三浦 轍司)
対馬古写真図鑑 (写真No.186)
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■ 写真左は電気会社の門柱。対向する車のところは宇田文房具店です。(三浦 轍司)
対馬古写真図鑑 (写真No.185)
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■ 写真左端は小山瞬輔先生のお宅。右端は庄野さんのお宅の門です。初めて車道と歩道が設けられた場所ですね。支庁の新しい建物が写真左手に見えますから、昭和39年ごろの撮影なのでしょうか。(三浦 轍司)
対馬古写真図鑑 (写真No.184)
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■ 私は、写真左のはしご段からさかさまにおちて、協立病院に母がおぶって駆け込んだと聞いてます。あの頃の母親達は強くて、そして、優しかったなあ。(kiyo)
■ 東川端通りをコンクリート舗装するたびに川に降りる事が出来なくなって、どこの家にあったのだろうと思えるような、木製の階段が吊るされました。そうやって、川端通りの表情が変化していったのですね。(三浦 轍司)
対馬古写真図鑑 (写真No.183)
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■ こんなにも広かったのですね。遊月橋から鳥居の手前までコンクリート舗装がされていないので昭和37年ごろまでの写真ということになりますね。(三浦 轍司)

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