■ 昭和38年の春に高校の同級生達と尾浦に行き、帰りを歩きましたが丁度このあたりは拡幅工事をやっていました。写真右の赤茶色の岩肌、松の木、厳原港の景色はこのままでした。3年前に帰島して、この撮影場所を探したのですが陸運の前に立ち、ここではないだろうか、と判定に迷うほど周囲が変わってしまっていました。下(しも)のほうの人が、厳原に出てきて、久田で米を馬に積んで帰る光景。昭和35年に馬に乗って往来する事が禁止されたと聞いています。(三浦 轍司)
■ 久田から豆酘方面に向かう久田地区の坂ですね。遠くに厳原港のシンボルである立亀岩が見えます。この坂は嗚呼難儀坂(あなぎざか)というはずです。(スペインの蠅)