対馬古写真図鑑

国境の島・対馬(つしま)に関する古い写真を収めたサイトです。
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対馬古写真図鑑 (写真No.90)
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■ 昭和38年の春に高校の同級生達と尾浦に行き、帰りを歩きましたが丁度このあたりは拡幅工事をやっていました。写真右の赤茶色の岩肌、松の木、厳原港の景色はこのままでした。3年前に帰島して、この撮影場所を探したのですが陸運の前に立ち、ここではないだろうか、と判定に迷うほど周囲が変わってしまっていました。下(しも)のほうの人が、厳原に出てきて、久田で米を馬に積んで帰る光景。昭和35年に馬に乗って往来する事が禁止されたと聞いています。(三浦 轍司)
■ 久田から豆酘方面に向かう久田地区の坂ですね。遠くに厳原港のシンボルである立亀岩が見えます。この坂は嗚呼難儀坂(あなぎざか)というはずです。(スペインの蠅)
対馬古写真図鑑 (写真No.89)
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■ 1962年ごろには権現山に塔が立っていて、有明の頂上から尾根伝いに歩きました。この写真は電電公社の2階建てビルが出来てから、権現山に塔が立つ前の間に撮られたということですね。(三浦 轍司)
■ 立亀岩から観た厳原。向こうに見える2つの黒っぽい大きな2階建ての建物が,その当時の厳原小学校です。右側を東校舎,左側を西校舎と言っていました。そして,東校舎の手前に見える白っぽい2階建ての建物が,その当時の厳原警察署です。(HK)
対馬古写真図鑑 (写真No.87)
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■17歳だったそうです。(桐○○子さん写真左の人の話)。桐○○子さんは、豆酘にすんでおられます。72歳だそうです。右の人は、赤○○子さんで、福岡に住んで、おられるそうです。(丸顔の人、この人も72歳だそうです)このころは、普通に着物を着ていたそうです。(着物の名前 ハギトージン、または、トージン着物と、いっていた用です。年代は、みた人で計算してください。(豆酘の漁師)
対馬古写真図鑑 (写真No.84)
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■ 豆酘の神田神社前の道路(現在神社はない)。東神田627、高御魂神社。木がこんもりとしている向こう側に本石製材所があったので、その製材用の木材が置いてあるのではないか。(桟原 久之助)
■ 豆酘の中学校前です。(現在小学校)松の木の所が正門付近です。左、手前電柱の所が現在の天本石油店です。中央、奥に電柱と重なる木は、写真番号132の松の木です。(年代45年前かも 50年前かも)(豆酘の漁師)
【訂正】松ノ木の所は、中学校の時の正門付近で、現在は、松ノ木より写真奥30メートル付近です。(Y.S)
対馬古写真図鑑 (写真No.83)
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■ これは初代です、2代目がアーチ橋(西海橋タイプ)で現在は3代目です。(フォルツァ)
■ これが2代目かな?1代目は吊り橋だったと聞いていますが吊り橋を見たいものです どなたか写真をお持ちで無いでしょうかネ(pegasus)
■ 船名 功丸。クレーンの起重機に屋根がかかっているのが特徴です。(kurage)
対馬古写真図鑑 (写真No.82)
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■ 大町通りからまっすぐ下がるとこのように階段になっていて矢来の内側の海面でした。(三浦 轍司)
対馬古写真図鑑 (写真No.81)
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■ 矢来の内側です。(三浦 轍司)

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