対馬古写真図鑑

国境の島・対馬(つしま)に関する古い写真を収めたサイトです。
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対馬古写真図鑑 (写真No.20)
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■ 左側に神宮武商店、右側の奥に時計塔のような謎の建築物が見えます。(西)
対馬古写真図鑑 (写真No.19)
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■ 昭和10年頃、中田鉄工所の横に住んでいました。郵便局も良く覚えています。火の見櫓も記憶にあります。これは何時頃撮った写真でしょうか。(K・O)
■ 厳原町・大町通り。長屋が見えます(西)
■ この火の見櫓によく登って遊んでしかられました。郵便局の横ですよね。(杉)
対馬古写真図鑑 (写真No.18)
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■ 当時の豆酘崎はジープが通れた。映画「玄界灘のおおかみ」のワンシーンではないか。はじめてカラーで映った映画で、人を殴って豆酘崎から落とすシーンがあった。[古写真上映会より](西@管理人)
対馬古写真図鑑 (写真No.17)
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■ 私が住んでいた家のすぐ近所です。まっすぐ進んで左に上がると県の公舎があります。(takigawa)
■ 昭和38年くらいの厳原・宮谷裏の武家屋敷の石垣。うなぎが獲れ、茶碗を洗っていました。[古写真上映会より](西@管理人)
■ 宮谷の武家屋敷跡周辺ですね。今とほとんど変わりない感じなのですぐわかると思います。(h)
対馬古写真図鑑 (写真No.16)
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■ 第2分団の消防自動車と思います 幼い頃はずいぶんと大きく感じたのですが。(フォルツァ)
■ こちらも今屋敷の大水の様子。「大衆食堂」「恵比寿商事小売部」の看板が見えます。(西)
■ 大衆食堂と小売り部の間が,やまや旅館の入り口じゃなかったですかね?(杉)
対馬古写真図鑑 (写真No.15)
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■ うちの父も写っています!! 感激です! 左から5番目の まだ若かりし父の姿です。現在72歳 病気療養中です。もう一度対馬の地を 自分で踏めますように!!(いのっちです)
■ この中に叔父がいます。小原 充郎と言います。懐かしい写真です。(明日香)
■ 左に在るのが郵便局だから,年賀状配達の出陣式かな?わかりませんが・・・(杉)
対馬古写真図鑑 (写真No.14)
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■ 小島病院は電話番号が、164番。どこの病院も必ず4番がついていました。4(死)は病院に引き取ってもらうという切実な(?)洒落だったと、聞いています。小島病院の後を継いだ仁位病院も164の番号をそのまま使っていました。(三浦 轍司)
■ 母の妹が小島病院で入院したそうです。(本田 憲児)
■ 森玩具店辺りから撮ったものだと思います。1961年ごろは仁位病院、それまでは小島病院です。昭和の始めは森病院と言っていたそうです。(三浦 轍司)
■ 横町通りにあった病院は「小島病院」ではないか、と教えていただきました。(西)
■ 厳原町・横町通り。病院があったそうです。道路はまだ舗装されていませんね。(西)
■ 二人の紳士の歩いている後方左の漆喰塗りの低い家屋はいまの「よこまち屋」(岡部商店)ですね。そのずっとむこうの日が射している所の左が大西書店だと思います。ここの病院は何病院だったかは忘れました。(杉)
対馬古写真図鑑 (写真No.13)
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■ この写真を見て懐かしく思い投稿します。昭和41年から44年まで3年間(厳原中学時代)しか厳原にはいませんでしたが、よく友人と立亀岩に登って景色(とても見晴らしが良かった)を見ていたことと、集団就職する同級生や先輩がフェリーで旅立つのを見送った記憶があります。この写真はいつ頃かはわかりませんが、この風景は私のイメージにあります。(田中 芳文)
対馬古写真図鑑 (写真No.12)
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■ ダイジェスト版の対馬新聞によると、厳原町の今屋敷地区は何度も大水による被害を受けているようです。(西)
対馬古写真図鑑 (写真No.11)
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■ 母親に見せると、間違いないそうです。(本田 憲児)
■ 久田道に42年まで住んでいましたが、海と道路との高さがあまりないようで、久田に行く道かなー?(本田 憲児)
■ 2年前迄、対馬に住んでました^^ よく桟原から久田まで、この道を走ってました。(きんじ)
■ 突き当たりは志賀の鼻の急カーブです。海岸寺の松は1955年ごろに枯れ、石垣を崩して、積み直していたことを思い出します。(三浦 轍司)
■ 今の美津島タクシーの駐車場あたりではないでしょうか?ちょうど桟橋が旧鈴木石油のスタンドの所の防波堤、その先に、チゴの鼻岬が見えますし。(JAN)
■ 久田道。現在の石井船具店あたりでしょうか?(西)

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