■ 小島病院は電話番号が、164番。どこの病院も必ず4番がついていました。4(死)は病院に引き取ってもらうという切実な(?)洒落だったと、聞いています。小島病院の後を継いだ仁位病院も164の番号をそのまま使っていました。(三浦 轍司)
■ 母の妹が小島病院で入院したそうです。(本田 憲児)
■ 森玩具店辺りから撮ったものだと思います。1961年ごろは仁位病院、それまでは小島病院です。昭和の始めは森病院と言っていたそうです。(三浦 轍司)
■ 横町通りにあった病院は「小島病院」ではないか、と教えていただきました。(西)
■ 厳原町・横町通り。病院があったそうです。道路はまだ舗装されていませんね。(西)
■ 二人の紳士の歩いている後方左の漆喰塗りの低い家屋はいまの「よこまち屋」(岡部商店)ですね。そのずっとむこうの日が射している所の左が大西書店だと思います。ここの病院は何病院だったかは忘れました。(杉)
■ 母親に見せると、間違いないそうです。(本田 憲児)
■ 久田道に42年まで住んでいましたが、海と道路との高さがあまりないようで、久田に行く道かなー?(本田 憲児)
■ 2年前迄、対馬に住んでました^^ よく桟原から久田まで、この道を走ってました。(きんじ)
■ 突き当たりは志賀の鼻の急カーブです。海岸寺の松は1955年ごろに枯れ、石垣を崩して、積み直していたことを思い出します。(三浦 轍司)
■ 今の美津島タクシーの駐車場あたりではないでしょうか?ちょうど桟橋が旧鈴木石油のスタンドの所の防波堤、その先に、チゴの鼻岬が見えますし。(JAN)
■ 久田道。現在の石井船具店あたりでしょうか?(西)
(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.